欲望を満たし続けたい→「不老不死になったろ」
若造にもくせぇこと、言わせてください。
人は何のために生きるのか。何故生きたいと思うのか。
生物としての答えは簡単で、「よりよい子孫を残す」ためである。地球に生きるほぼ全ての生物個体が目的とするところの究極はそれでしかない。
しかし、人間は他の種に比べ高度な知能を持ち、文明を発展させることでこの地球の頂点として繁栄した。
それ故に「よりよい子孫を残す」という生物の宿命から外れた、それ以外の「生きる目的」を考えるようになった。
極論だが、サバンナに暮らすライオンやゾウ、シカ達が
「今月余裕あるし、あのバッグ買っちゃお!」
「年末はハワイかなぁ」
などと考えるだろうか。
否、彼らは弱肉強食の世界で生きており、「よりよい子孫を残す」ことを目的に「生きる」。
旅行や服、遊びといった娯楽。
我々人間には何故娯楽といった概念があるのか、
それはこの「地球全土における弱肉強食の競争」において頂点となったものの「選択肢」を持ったからだと私は考える。
ピラミッドの上に立つものには「選択肢」といった特権が与えられる。
サバンナを例に出すと、
ピラミッドの頂点に立つライオンが木陰で悠々と休息をとる間、シカやシマウマのような狩られる側は身を守らなければならないため、休息という「選択肢」を選ぶことができない。。
そしてその上に立つ人間には更なる「選択肢」を持つことができる。
それは種間だけでなく種内でも例外ではない。
酷な話だが、アメリカの富裕層の子供とアフリカの貧民層の子供、どちらが人生における「選択肢」をより多く持っているかは言うまでもない。
恵まれていることに、私は日本の一般家庭で育ち、
人間としての、日本国民としての、一般家庭に育ったものとしての「選択肢」を持っている。
恐らく、この記事を読んでいるほとんどの人もまた同じではないだろうか。
「生きるか死ぬか」だけを常に考えている訳ではなく
休日には部屋でNETFLIXをのんびり見たり、友人とショッピングしたり。
それぞれが個人の持つ「選択肢」の範囲で生きていくことができる。
そこでもう一度考え直したい。
人は何のために生きるのか。何故生きたいと思うのか。
あなたは何のために生きていますか?
あなたの幸せとは何ですか?
あなたの生きる目的とは?
・・・なんて、偉そうに聞いてみたが私はそんな大層なことを言える身分ではない。
しかし、若輩者の私でも「生きる目的」を掲げる、内に秘めておくことは大切だと、最近ようやく気付くことができた。
別に大層なものじゃなくていい。生きていれば変わるかもしれない。
でも中途半端なものは良くない。
今まで得てきた経験をフル活用して絞り出さねばならない。
そこから導き出された「生きる目的」に向かって歩みを進めることができる。
それが「選択肢」を持つ者の特権であると私は考える。
ここまで長々と書いていて「お前は何様だ」と思われるだろう。
私は元来、クズのような人間だ。大学2年生までは逃げまくりの人生だった。
学校の勉強は嫌いだった。そこから逃げて高校、大学受験はたいして頑張りもせず、
当時の学力そのままで入れるところを受験し、入れさせてもらった。
専念しなければならないことを放り投げ、遊びに走った。
幸いにも好奇心は旺盛な方で、手を出したいことにはいろいろと手を出していたため、そこら辺の同年代と比べても「人生経験」という点では負けていないという自負はある。
学校は何だかんだ言って楽しかったし、交友関係も充実している。
今、学生生活が上手くいっていない子からすると、「十分だろ」と思われるだろう。
・・・それでも、半分は後悔している。
人生は一度きり、後悔するのは文字通り「後味が悪い。」
なぜもっと勉強して将来の「選択肢」を増やさなかったのだろう。
学校の勉強に限らず、だ。
細かいことを言うともちろん他にもある。
ラッシュの電車内はウォーキングデッドさながらだ。
最近、特に若者の間でサラリーマンという生き方について疑問視されがちだ。
私は別に何とも思わない。むしろ、野原ひろしは最高にかっこいい。
しかし、「生きる目的」を持たずしてのうのうと生きている者に対しては、
懐疑的だ。
振り絞ってだした「生きる目的」を持たない学生にサラリーマンを否定する権利はない。
ゾンビが何を発したところでただの呻きだ。
ある意味、これは「生きる目的」を決めることができた私のエゴであり、マウントだ。
そう取られても仕方がない。でもこれだけは言わせてほしい。
「生きる目的」を見つけよう。
未来ある学生たち、君は何になって、そこからどうしたい?
「選択肢」を選び進めるごとに「選択肢」は限られもするが、そこからまた増やすことだってまたできる。
まだ「生きる目的」が決まっていないのなら今のうちに「選択肢」を増やす努力をしよう。
学校の勉強はもちろん大事だが、「選択肢」を増やすきっかけとなる他の経験をするのも大事だ。見聞を広げよう。
持っていた「生きる目的」見失い、ゾンビになってしまった大人の方々、
何度も言うように私は偉そうなことを言える立場ではありません。
私のような若輩者があなたに言えることは正直、ないです。
人生経験がまだまだ浅いためです。これから精進します。
しかし一つ言えるのは、私はドン底から這い上がってきた人を知っています。
詳しいことは言えませんが、話を聞く限り、真っ黒な地獄の底です。
その人は這いあがってきました。今でもその後遺症といえるものは残っていますが、必死になって頑張っています。
その人は、根は傲慢な私が初めて心の底から「先輩」「師匠」と思うことができた人物です。
もう一花、二花三花咲かせるための種を、今からでも探してみませんか?
本題
という前置きを長々と済ませたところで( ↑ いや、ちゃんと本心です)
記事タイトルの内容に戻りたいと思います。
・・・要はそういうことです。
欲望を満たし続けたい→「不老不死になったろ」です。
アホです。
上記フリに沿わせると、私の「生きる目的」は快楽です。
内から湧き出る欲求を満たして快感を得る、キモチイイことをずっとしていたいだけです。
例えればオ〇ニーを覚えたチンパンジーです。酒、タバコ、女みたいな人間です。
最悪ですよね。
でも好きなんです。譲れません。
しかし、楽しみ続けたいと思ってもそこは人間です。
老いていき、感覚が失われていきます。
快楽を最高のポテンシャルで味わい続けるには、まず自分のポテンシャルを維持し続けなければなりません。
(年を重ねてこそ得られる快楽ももちろんあると思います。別腹でいければ。)
そこで閃きました。「不老不死になったろ」。
永遠の快楽(←に関してはまた別の記事で)を得るための方法として不老不死を目指し、その方法を模索して2年になる20代前半のチンパンです。
人生初ブログです。まだまだ勉強不足で乱文失礼いたしました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
コメントやアドバイス等あれば是非書いていただけると嬉しいです。
以上、文章を見直して改めて自分で「くさぁ」となりました。それでは!
(竜頭蛇尾とは正にこのこと。)
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